木のたとえ話で学ぶ、個性の分類と親子の関係
こんばんは、個性學パートナーの土屋 美保です。
広島県福山市で、手ごねパン教室をしています。
このブログでは、仕事も子育ても欲張りたい、自分を大切にしたい、
そんなママに向けての自分自身の土台を整える方法や
個性に合った子育てのコツなどをお伝えしていきます。
あなたの毎日のなにかしらの参考になれば嬉しいです。
今日もまた空想世界へ…
今日は、『木のはなし』の続きをお話しますね。
また、私の空想物語にお付き合いいただけたら嬉しいです。
~前回までのあらすじ~
梅の木と梅の木が結婚して、偶然、梅の木の子が生まれました。
梅の木のお母さんは、子育てが楽しいです。
何年か後、お母さんは子どもを生みました。
2番目の子どもは、桜の木でした。
梅の木のお母さんは、桜の木の子どもを桜と分からず、
上の子と同じように梅の木として育てようとします。
どんだけ頑張っても、桜の木の子は梅にはなりません。
梅の木のお母さんは、とても悩み、
無意識に桜の木の子と、つい怒ってしまう自分を責め続けます・・・。
これが前のブログのおはなしです。
↓↓
家族が増えました…
そして、何年か後、
3番目の子が生まれました。
3番目の子は、松の木でした。
梅の木のお母さんは、
花も咲かない、実もつけない、
存在感だけある松の木の子に、
こう言います。
「あなたは堂々としたところがいいわね」って。
悪気はありません。
梅の木のお母さんは、
松の木と違うところが気にならないだけです。
違うところが違うって見えているだけなんです。
では、桜の木のことはどうでしょうか?
違うっていうところが気になって、
なんとかしなければ・・・って、
思ってしまっているだけです。
違うところが心配って見えているだけです。
親の愛は子どもには分かりにくい…
でも、子どもの立場で見ると、
そんなものは、分かりません。
一生懸命、梅の木のお母さんに認めてもらいたくて、
桜の木であることを忘れて梅の木になろうと頑張るかもしれません。
桜の木であることを責めてしまうかもしれません。
もしかしたら、
自分の居場所をない気がして、
家にいることを選ばなくなるかもしれません…。
たとえ話を木にしたので、
とても分かりにくいかもしれませんが、
これを人間に置き換えても同じことです。
個性にあるのは役割だけ
この木は、個性の分類です。
分類が違うということは、
価値観や、
大切にしていること、
人生の本質的な目的が変わります。
でも、
個性に優劣はありません。
もちろん善悪もありません。
あるのは、
それぞれが果たす社会の役割だけです。
そして、家族だからといって、
同じ分類だということはありません。
この梅の木の家族みたいに、
バラバラな家族も存在します。
これは、珍しいことではなく、
どこの家庭でもあり得ることです。
奇跡的に、家族5人が同じ分類っていうこともなくはありませんが、
人の数が増えれば、増えるほど、
個性の分類はバラバラです。
自分が生んだ子が、
自分と同じ個性の分類に必ずなる…っていうことは、
残念ながらありません。
子どもは親の価値観の中で生きている
なにが言いたいかというと、
子どもは、親の価値観の中でよくも悪くも育ちます。
親である私たちがどんなメガネをかけて、
子どもたちを見るかがとても大切です。
「自分と違うから修正しないと」っていうメガネでみるか、
「自分と違う、この子はこの子だ」っていうメガネでみるか、
選ぶのは私たちです。
個性の分類や、組み合わせによって、
違いが気になる相手、
違いが尊敬になる相手は存在します。
それでも、
どのメガネをかけて、
どんな世界をみるかは、
あなた次第です。
あなたは、
どんなメガネを選びますか?
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